今回は千葉県で福祉事務所を運営する、小山けんいちさんです。地域の同業者同士で連携し、利用者さんを地域全体で支える社会の必要性を訴える小山さん。地域で福祉の仕事をする小山さん個人として、福祉の仕事に至った経緯やその後のご経験、そして今後小山さんが目指す社会についてなど、オープンな雰囲気でお聞かせくださいました。
人と環境の相互作用を学びたい!ー心理学への道と挫折
初めまして!小山さんは福祉事務所を運営されているとのことですが、ずっと福祉のお仕事をされているのですか?
そうですね、福祉の仕事しかしていませんね。そして例外を1つ除いて、既存の施設に就職したことはないんです。
既存の施設に就職したことがない…?どういうことですか?とても気になります…!
まずは、福祉の業界に興味を持った経緯から教えてください!
そうですね…せっかくですから、高校生の時に遡って…
高校生の時に、いわゆる中二病のようなことを経験しました。『自分は、人の気持ちを理解する能力に長けているのではないか…』と思うことがありました。
また、教室の掃除の時間、掃除しやすいように机の上に椅子を乗せますよね。でも、ひとつだけ椅子が乗っていなかったんです。その椅子を僕が机に乗せました。その時の自分の行動に、『なぜ椅子を乗せたのか?』『自分は誰かに認めてもらいたくてやったのか?』『自分は誰かの意思に左右されて生きているのか?』と、思い悩んだことがありました。
悩み尽くした結果、『僕は誰かがいないと生きていけないんだ!』『人と環境の相互作用について学びたい!』と強く思い、進路を哲学か心理学に絞ることにしたんです。最終的には、心理学に進むことにしたのですが。
高校生で『人と環境の相互作用』を学びたい!と思うあたり、なんとも興味深いです…
いよいよ、心理学が学べる!とワクワクして大学に向かいました。そして授業が始まると、教授は開口一番『自分をもっとよく知りたい、とか、自分探しと思って勉強に来ているのは間違いですからね。すぐに辞めたほうがいい。』と言い放ったのです。衝撃的でした。
心理学は、行動科学で、数学や統計学を用いて学んでいきます。つまり、私が想像していた心理学と、実際の心理学は違っていたんですね…挫折して、真面目に学校に行く気には到底なれませんでしたね…
転機は恋ー自閉症との出会い
なるほど…向かう先がなくなってしまったのですね…
はい、でも転機がありました。恋です。彼女ができて、彼女の部屋でビデオを観る機会がありました。当時の彼女は自閉症に関するゼミに入っていて、観るビデオはきまって自閉症関連でした。当時は「つまらないな…」と思いつつも一緒に観ていました。また、自閉症を学ぶために当事者の元に、彼女と一緒に出向くこともありました。気がつくと、自分が自閉症に興味を持ち始めていたことに気が付きました。ちょうど、授業で「自閉症と就労支援」というものがあり、その授業が特に興味深かったことも影響しています。
まぁ、私が彼女と同じことに興味を持ち始めた時には、彼女は、私の勉学への不真面目さ(心理学に挫折してしまっていたので)に呆れて、私の元を去っていったのですが…(笑)。
なんと、当時の彼女との出会いが、自閉症を知るきっかけや、福祉業界への入り口となったのですね!
初めての仕事は法人立ち上げ
そういうことになりますね。とはいえ、心理学への挫折が大きかったこともあり、卒業後は特に就職もせずにいました。すると父から、「何もしていないなら、社会貢献でもしたらどうか」という話をされました。このままだと実家を追い出されるなと思ったので(笑)、インターネットで地元のボランティアを調べて、一番上にヒットしたボランティアに応募しました。意図せずして、学生時代に興味を持った就労支援や、今の生活介護などの施設でした。
そこで一緒にボランティアなどをしている仲間から「一緒に社会福祉法人を作らないか?」と誘われました。「面白そう!」と思い、二つ返事で参加することになりました。
なるほど、就職せずして、福祉の業界に入られたのですね!はじめに、就職したことがない、というのは、このことだったのですね。
その後、法人も大きくなっていって、自分の飽きっぽい性分もあり、また新しい組織を作りたいと思い始めました。そして、志を同じくする仲間と一緒に、法人を立ち上げることになりました。新しく立ち上げた法人でも次第に、違和感を感じ始めました。当時は、自分のカラーを出したかったというか、自分が中心となって動きたかった、というか。
そんな思いの中、自分や組織の「こうあるべき」の概念が固定化されていくのが、すごく目に付いったんです。今後の事業展開も難しいかもしれないと感じたり、仲間の意見に対して歩み寄れないことが増えてきました。今思えば、周りの人たちも、やりにくさがあったかもしれませんね。
自分のカラーを出したい、というのは、誰しもどこかで持っている部分かもしれませんよね。自分にも身に覚えがあります。
人生初の就職!ーでぃぐにてぃでの経験
辞めることを決意して、その後のプランを考え始めました。「独立して相談支援の事業所を作る」「ケアマネとして独立する」など、色々思いをめぐらせていました。また、実は辞めると決意する1年ほど前に、別のバンド仲間と立ち上げた法人もあったので、そこに専念することも考えました。そんな時、twitterで見つけたのが、この投稿でした。
経理ですか!福祉関係の法人だったのですか?これが、就職したことにない小山さんが、例外で就職したお話ですね!
そうだったんですね…。そこから今のお仕事に至った経緯を教えてください!
はい、バンドは、福祉の仲間とのバンドと、パパ友とのバンドの、2つに所属しています!
今後の目指すものー同業者連携
現在のお仕事において、目標などあれば教えてください!
我々のエリアは、大きい社会福祉法人もあるが、規模がそこまで大きくない社会福祉法人がとても多いんです。家族経営も多い。それ自体は悪いことではないのですが、やはり小さな法人だと、1人の利用者さんの人生全てを支えられないんですよね。限界があります。
サービスが途絶えたとしても、利用者さんの人生は続いていくんです。ひとつのサービスの前後の生活もある。そして、これから先ずっと利用者さんの人生がある。切れ目なく利用者さんに寄り添えるように、地域の仲間と連携していく必要があると考えています。
実は既に活動を始めていて、自分たちの法人だけでは提供しきれない部分を連携できるように、地域の志が近い事業者さんを開拓しています。
そうですね。利用者さんを、地域全体で支えられるようにしていきたいですね。みんなで協力していけるような形を目指していきます。
とても重要なことですね。社会福祉士取得の際に机上で習った、連携やネットワーキングのお話を聞けて嬉しいです。
あとは、後継者を作っていきたいですね。福祉の業界って閉鎖的で、ボランティア精神のような、悪しき慣習を続けているところも多いんですよね。それを理解した上で、いい意味で一緒に壊していけるような、この業界を担っていってくれる人たちを作っていきたいですね。
とても共感します。知れば知るほど、この業界がクローズドすぎて、驚いています。もっともっと開かれるべきだと感じています。
そしてもう一つ、これは読者の方へのメッセージにもなるのですが、これから、地域で生きること、地域で働くことが、ひとつの形として認められつつある。地域で連携する、繋がる、そんな私の働き方をみて、『地域で働く』ということの参考にしてもらえたらと思っています。
とても貴重なお話ありがとうございました!